柔道アジア選手権 “塾生柔道家 観戦記”

(藤井選手/写真左)

去る4月20日にタイ・ジャパン・ユースセンターで柔道アジア選手権が開催されました。最重量級である100kg超級に、慶應柔道部4年主将の藤井 岳選手が出場し、バンコク三田会有志の声援の中、見事、優勝を果たしました。

現在のオリンピック候補選抜の重要条件である世界ランキングにランクインすることは間違いありません。
今後とも応援を続けていきたいと思います。

以下、小茂鳥会長の観戦記をご紹介します。
真鍋

朝、9時半、真鍋君(81年柔道部卒)のアパートにバンコク三田会有志が勢揃い、会場のバンコクユースセンターに向かいます。現地集合の会員、バンコク在住柔道部OG加固夫人家族含めて約20名の俄か応援団が結成されました。
会場に着いたのが10時過ぎ、真鍋君が持ち込んだ「がんばれ!藤井」の横断幕、バンコク三田会の塾旗を目立つ場所に張り終わると同時に藤井君の1回戦が始まりました。アッという間に藤井君の締め技で一本勝ちです。瞬時のことゆえ相手選手の国名を確認する暇もありませんでした。

選手控え室とはいっても会場の一角を仕切っただけですから、試合を終えた藤井君と話すのは容易です。自己紹介をしつつ若干話ができました。
「次のカザフスタンの選手が強敵です。恐らく準決勝は韓国選手です。」
「そうですか!頑張って下さい!」程度でしたが、礼儀正しさがようく分かる青年です。それにしても選手控え室、、何とも凄まじい光景です。出番を待つデカイ選手が男女、入り乱れ、ある者は仮眠、あるものはマッサージあるいはウォームアップのぶつかり稽古(?)をしています。それぞれが国の威信を背負い、重圧や緊張感を少しでもほぐそうと、あるいは戦意をより高めようと過ごす光景は、試合とは又、異なる不思議な風景でした。

さて二回戦は強敵、カザフスタンの選手です。ベテランのように見受けられましたが、遠くから、かつガイジン選手の年齢はよく分かりません。
試合は双方がシドウを一枚づつ受けた後、どうやら相手選手のスタミナが切れ掛かった辺りで藤井選手が「有効」をゲット、何とか勝つことができました。(試合の流れは間違っているかもしれません。何せ「フジイッー!」「ガンバレッ!!」などと、久々の大声を張り上げながらの応援ですから此方も興奮していて明確に覚えていないのが正直なところ。)

スタンドに目を向けると、アジア選手権といえども一般の入場者はあまり居ないようです。皆、何らかの関係者ばかりです。そんな中、唯一、(唯二?)組織的な応援をしていたのが北朝鮮応援団と我々フジイ応援団です。北朝鮮応援団は恐らく大使館関係者かと思われますが、奥さん方と思われる女性が二十数名で声を張り上げています。驚いたのが彼女たちの服、装身具の豪華さです。時計をはじめブレスレット等、金ぴかで何とi-Phoneまで持っています。相当な特権階級かとお見受けしました。

スタンドの中段に目を向けると、井上康正監督他コーチ陣が陣どっています。早速、挨拶に出向きました。
「どうも初めまして!井上監督ですか?我々、バンコクの三田会のメンバーで塾の後輩の藤井君の応援に来ました。」
「そうですか、有難うございます。彼は僕の高校の後輩なんです。どうぞ応援してやって下さい。」 なんて会話でしたが、カザフスタン戦が終わったところで今度は井上監督自ら僕らの方にやってきて、「有難うございました。次もよろしくお願いします。藤井選手には後で挨拶に来させますから」と伝えにこられました。その丁寧さ、礼儀正しさには三田会のメンバーも驚きかつ感激し、ついでに写真撮影に及びました。
後でも書きますがトップアスリートというのは人間的に魅力がありますね!

さて時間は11時過ぎ、いよいよ準決勝の韓国戦です。
規定の5分では決着が付かず延長のゴールデンポイント方式に移って7分後、12分間に亘る死闘でしたが、最後は藤井君の一本勝ちでした。
体系的にほぼ同型の韓国選手は頻りに背負い投げに持ち込もうと屈みこみます。解説の真鍋君によればあれは「かけ逃げ」と言い、シドウを取られないようにする為には演技力も必要で、現役時代に真鍋君は得意としていたそうです。また、畳にうずくまり持ち上げてひっくり返されないあるいは寝技をかけられないように肘をしっかりと固めガードする技を「亀」と称し、これまた真鍋君の得意技であったそうです。いったい彼は現役時代、どんな選手だったのでしょうか?

さて、この12分間の戦い、正に死闘と呼べる試合でした。どの試合も国家の代表として死力を尽くす国際試合ゆえ、見応えはあるものでしたが身内の応援という点を差し引いても、BEST3にランクされる凄い試合だったのではないでしょうか?
試合を終えた藤井選手が監督のいるスタンドに上がってきました。ただ息が上がって声も出ないため監督の居る席にたどり着けづ、手前に座り込んでしばし息を整えています。声をかけようと近づいたのですが、試合直後の選手の余りの壮絶さに僕は目礼だけして、通り過ぎました。

さて決勝は夕方5時から始まり女子の重い階級、男子の重い階級がそれぞれ3位決定戦2試合、決勝1試合合計21試合が行われました。
日本人でこの日決勝に進出したのは女子で最も重い立山選手、男子は81Kg級の海老選手、90Kg級の下和田選手、藤井選手の4名でした。
立山選手、海老選手の二人は韓国に敗れ下和田選手は僅差で韓国に勝ち優勝、最終戦はいよいよ藤井選手の出番です。

相手は超大型のキルギスタンの選手です。組み合うと頭一つは相手が抜きん出ています。試合前、井上監督曰く決勝の相手は大きいですが技術的には藤井選手の方が上です。韓国戦に勝てたのですからやってくれると信じています、との力強いコメントを聞いていたので、安心はしていたのですが実際に大きさの違い、腕の太さを見るとやはり不安です。ただ2分後位から明らかに相手に疲れが見えてきました。最後は興奮で何がどうなったのかよく分かりませんでしたが、でかい相手が転がっていました。

個人戦、最後の表彰式!真ん中のポールに上がる日の丸、流れる国歌「君が代」、何とも素晴らしい光景です。ただでさえ異国で観る国旗には感慨深いものがありますが、それを塾の後輩である藤井君の手に(身体に)よって為されるとは・・・。


これを書きながらも光景が目に浮かび、PCの画面が涙で霞んできます。・・・・・(しばし中断)

試合終了後、控え室で真鍋君作成の横断幕に藤井君のサインをねだり記念撮影です。写真は左から応援部81年卒近藤君、71年蹴球部卒及川先輩、07年チア卒宇田君、藤井選手、81年柔道部卒真鍋君、小生。

で、撮影してくれたのが100Kg以下級で優勝したイランの選手です。どかどかと控え室に上がりこんで来た我々に嫌な顔もせず、依頼に快く応じて笑顔で対応してくれました。トップアスリートって国籍問わず人間的に魅力あるんだなぁ、と感じた一こまでした。

いやぁ疲れたけれど、充実感のある良い一日でした。藤井君有難う。

< (井上監督/写真右)

バンコク三田会の皆さんお疲れ様でした。
小茂鳥